館長の部屋の最近のブログ記事

日本のミニカーの歴史

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1940年代に、ブリキ玩具と共に小型の車が出回った。

理由の一つに、材料が少量で簡単に作る事で、安く誰でもが

買える事を狙って作られた。 出来ばえも、簡単な金型が1ヶか

2ヶ位でゼンマイを組み込んだものから、何の動力も組み

入れないものもあった。 現在は実物もほとんどなく、当館に

少々所蔵しているくらいである。 その事で、よく調査 研究を

した所、パッケージにミニカーと書かれ 中にはブリキの

小さな車が入っていた事で解ったのも理由の一つである。

ミニカーの大きな特徴として、実在する車を正しくスケールダウン

して作られている点にある。 それがブリキの自動車と大きく

違う点である。 (但し例外もある。例えばマルサン商店の

キャデラックなどである。)

そんな事で、ブリキ玩具と並行して各玩具メーカーは、ミニカーの

生産に力を入れる。 材料はダイギャストをベースにした。

理由は、より自動車を表現するのに一番ふさわしい材料だった。

主なメーカーとして、ヨネザワはダイヤペット。アサヒはモデル

ペット。マルサン商店はマルサン。大盛屋はミクロペット。トミーは

トミカ及びダンディ。バンダイはポピー事業部。 サクラ、カドー

などがそれぞれ競い合った。 そして色々な変遷を経て、

現在はダイヤペットやトミカ等が生き残って頑張っている。

特にトミカは長い歴史とコレクションアイテムとしては、

パーフェクトな生産ラインと販売ネットワークで 完全に定着して

いる。 今後も続くであろう。 最近のニュースでは、蒲鉾が

ミニカーのデザインで、ミニカーサイズに切り込みを入れると、

ミニカーの着色とデザインが出て来る。 子供達にとっては、

食べるミニカーである。 トミカもここまで来たか...と、

フト考え込む?!

 

ブリキ玩具のメカニズムについて

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ブリキ玩具は、基本的には 動きがより楽しく、面白く、感動につながる。

その一般的なものは、ゼンマイ仕掛で動くものである。

欠点は、10秒前後でゼンマイが0(ゼロ)にもどって止まる事で、長時間

動かない事にある。

しかし、日本人の知恵で 時計の振子的ブランコをする玩具や、ジェットコースター

的登る時だけ動力を与え、下り坂のエネルギーを利用して長い間動く工夫等も

された。

同じゼンマイでもヒゲゼンマイと言って、中心の横棒に ワイヤー状に

巻きつけて、エネルギーに変えるものもあり、これ等は、ゼンマイ仕掛よりは

若干長く動いたが、一寸動きの迫力に欠ける面もあった。

それ以前の玩具には、ハンドオペレーション即ち手で押して走らせたり 

動かすものだったが、一寸した工夫で、タイヤのセンター部より 若干ずらして

車軸をハンダ付けして 4個の車軸をそれぞれ変化をもたらした接着で 

手動プラス反動を利用したもの等もあった。

その後の玩具には、 ゼンマイより若干動く時間をのばす工夫をしたエネルギー、

フリクション(弾み車)が使われた。これは主となる動力を、高回転させ、

そのエネルギーを車等の回転軸へ伝え、ゆっくり走行するメカニズムである。

条件の良い所では10m以上走行するものもあった。しかし欠点は、弾み車の

高速回転により、他の歯車が擦り減ったり、くい込んだりして、直ぐに

故障する事にあった。

鋼的素材を使用すれば多少はマシになるが、コストの面と、故障すると

次の玩具を求めるお客と 商店との利害関係が いろんな面で一致していた為、

鋼的素材は使用される事はなかった。

時代が進むにつれ、玩具も電動ものに進歩していった。いわゆる電池で動く

玩具である。これはスイッチを入れ、電池がなくなるまで動くわけで、玩具が

大きく成長し、大衆から受け入れられる時代になった。 

モーターで動く玩具の大半はマブチモーターが利用され、種類も多岐にわたり、

小さくて性能の良い事では有名である。

電池を入れたままにしておくと、液だれを起こし、バッテリーボックスや

ターミナルを錆びさせ、次には使い物にならない事例も多かったが、これ等は

個人の責任であるのは当然であり、子供達の注意力を深める事にも繋がる。

電動玩具の普及でメーカーは、様々なアイデアを取り入れた。その1つとして、

壁に当たっても方向を自動的に変えて動く玩具、即ちミステリーアクションの

開発が行われたり、笛や音に反応してスイッチが入ったり切れたりする

ソニコン開発で、かなり離れた場所から玩具のコントロールが可能になった。

更には、ラジコンの開発で複雑な操作も可能にした。又驚く事は、地上で

楽しむ事は勿論、空中でも飛行機やヘリコプター等を自由に操るまでの発展を

遂げた。しかし、これらの玩具操縦技術が問題になり、事故防止の為に

広い場所の確保が必要となった。また友好的グループや○×クラブなどが

誕生して今日に至っている。

玩具の材料について

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戦前のおもちゃ達の材料は、一般的には 紙、布、ガラス、

セルロイド、木地などが主流である。(一部例外有り)

代表されるおもちゃには、ドラム少年などで、私の知る限りでも 

10種類位のバリエーションがある。 これらの材料は、

人形制作にも適していて、人形から 発展的に 男の子の

おもちゃとして 誕生したと考えられる。 ところが、戦後は 

ブリキが主流となる。*(ブリキとは、オランダ語で ブリックが

語源で、0.3㎜以下の厚みの鉄板に 亜鉛をメッキしたもので

ある。) 何故かと言えば、これには深い理由がある。

戦後の日本 とりわけ玩具業界についても、工場、機械職人、

素材パーツ等 皆無に近く、ダメージを受け、玩具生産には 

ほど遠い時代だった。 そんな時に思いついたのが、アメリカ本国

から 進駐軍の食糧として送られ、不要となった一斗缶に

目をつけ、再利用すると言う事だった。 それらの払い下げを

受ける事に成功し、ブリキ玩具のボディーに活用する事に

した。 最初は、簡単な機器で作れる ジープや ヨットや 飛行機

などを造った。 着色も 霧吹き等でまかない、粗末な物だった。

国内向玩具で 子供達が買える 駄玩具的程度の物だった。

そのうちに 動力を組み込む為に、時計のB級品ゼンマイを 

格安で買い求め、玩具工場は 動く玩具への生産に

取り組みだした。 そんな訳で ブリキ玩具の時代は 成長と共に

約40年間位続いた。 時代と共に  技術も機械も向上し、

ブリキ玩具  全盛時代の  到来となったのである。

はじめに☆初めに☆始めに‼

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ブリキ玩具をはじめ 人形等 あらゆるおもちゃを、

30年余に渡って、収集、研究をしてきた。

当然ながら 関係者に 種々な角度から、講演や対談、対話、

体験等々を 聞いてきたが、百人百様の考えと、表現力が 

異なる事が多い。

そこで私は、15,000点に及ぶ 玩具との 深い 重い 

関わりから、私なりの感性で、玩具とは、児童文学とは、

文化的玩具教育とは、文化遺産とは、等々について、

知り得た事を 発表してゆくが、参考になれば こんなに

嬉しい事はない。

そして、おもちゃの神様が これらについて味方し、

守ってくれる事を願いつつ‥‥

ブリキ玩具大量生産の理由

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第二次世界大戦の終戦(昭和20年8月15日)間もなく、

玩具業界も、生き残る為に、あらゆる努力と知恵を

働かせた事は、言うまでもない。

生産方法

①アメリカ本国から、米兵の食糧として、一斗缶入り物質が

送られ、不必要となった空の一斗缶を、玩具ボディーに

再利用した。

②玩具動力には、時計メーカーのB級品ゼンマイ機器を、

再利用する。

③鳴り物には、糸電話的形状を小型化して、大、中、小の音を

出す事に到達した。

こうして出来上がった玩具の約70%は、輸出用とした。

理由は、当時日本の家庭は、衣食住を確保するだけで精一杯。

玩具を子供に与えられる家庭は、ほんの一握りだった。

アメリカ(戦争勝利国)を初め、ヨーロッパ各国に輸出し、

全世界の大半の国から、価格や出来ばえなどで大きく評価され、

瞬く間に世界の頂点に至り、玩具業界は一時期、 日本経済を

担ったのである。