副館長  佐々木 輝之

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京博連だより.jpg ティータイム.jpg京博連だよりの『ティータイム』コーナーに、副館長

の佐々木氏の書いたものが、掲載されました。

紹介を兼ねて、そのまま載せます。ご覧下さい。

 

 「ブリキのおもちゃと人形博物館と私」

平成19年12月、当館はリニューアルオープン

しました。発端は21年前『ブリキの博物館』

として始まりました。

そもそも、当館長の高山氏と私との馴れ初めは

今から十数年前、退職を機にどう言う訳か、

古い玩具に興味を持つ様になり、同時期、当館の

存在を知り、客として通い続けました。

ところがある日、改築する事を知り、あけてオープンの祝いに駆けつけたところ、高山館長より、

スタッフ(副館長)の職務を承ったのがことの始まりでした。

オモチャの歴史は動く玩具としては江戸時代の "からくり人形" に始まり、明治、大正時代には

ブリキ玩具はすでに製作されていましたが、昭和の大戦後に「オキュパイトジャパン製」として

特にアメリカ等に輸出されだし、ブリキ玩具の最盛期を迎えました。

私が今、副館長を兼ねながら修理を請け負う様になったのが、四、五年前、ある知人より

動かなくなったブリキの車の修理を頼まれたのがきっかけでした。

なにせ四、五十年前の代物です、当然故障している物が多いですし、所々色はげ、サビが

あるわけで、恐る恐る、ブリキの爪を起こしつつ慎重に底板を外すと...

油汚れや綿埃で覆われた中に、モーターを見つけ、果たして動くかどうか、早速電池を直結して

軸を指先で回してやると、 "ウィーン" と小さなバイブレーションが甦りました、感動の一瞬でした。

配線をやり直し、元通りに組み立ててスイッチをオン、見事走りだしました、蘇生したのです。

知人は感謝してくれ、私は楽しいと感じ、以後、私のライフワークとなりました。

所詮、オモチャは子供の遊び道具です。ところが当時の設計者や製作者の技術力と職人技の凄さに

感銘します。

フリクション(弾み車)・鋼ゼンマイ・モーター等であの複雑な動きを演じさせるのです。布の毛皮を

着た擬人化した動物達は、コミカルな動きをして楽しませるのですが、その分複雑な構造の為、

故障もよくするのが、玉に傷ですが...。

ただ、面白いのが、本体に使われているブリキ板に時々、お菓子や食品メーカーのプリントを

見ることがありますが、これは再利用の先駆けですね。

また外車への憧れか、数多くの車種が再現されました。中でも群を抜くのが「マルサンの

キャデラック」です、これはコレクターの憧れの品です。

当館にはよく修学旅行の学生が訪れます。平成生まれの子供たちが館長の楽しい説明に興味を

示して、陳列ケースを覗き観る姿に、もし、これらが今でもちゃんと動くところを見ればきっと彼らは

驚くだろうと思うと、この役職の本望なのですが...。

早二年が過ぎ、今もって感じるところは、はたして副館長の務めを果たしているのでしょうか?

 

 

 

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